高校サッカー・人生は芸術だ
サッカー(スポーツ)は、芸術だと感じるときがあります。
スポーツは芸術のように国境を越え、言語を越え、人と人の心を結びつけ、感動を与え、語り継がれ、勇気と喜びを与えてくれます。
芸術とは、よろこびが真っ先にやってくる。(アラン)
芸術とは、感情にほかならない。(ロダン)
芸術とは、人間の心の奥底に光明を与えることだ。(シューマン)
芸術とは、人間が心の中に高まる感情を最善のものへ移行させる。(トルストイ)
芸術とは、それ自身目的ではない。人間を表現するための手段だ。(ムソルグスキー)
様々な芸術家達の言葉が残されています。
芸術とは、わかりやすく言えば「こころ」の表現手段だと思います。
それが他人のこころに伝わった時に人々から賞賛されるのだと思います。
だから芸術は「感動」を人に伝えていく事のように思えます。
「感動」が無ければ、人の心を動かす事が出来ないからです。
オリンピックを見ていると「感動」が沢山あります。
女子バドミントン松友・高橋ペアのラスト5ポイント連続奪取での逆転金メダルは感動しました。
1997年11月16日ジョホールバルの歓喜は今でも思い出すだけで感動します。
ジャージ姿の岡田監督がガッツポーズで選手達に歩み寄る後ろ姿、中田英寿選手のドリブルから左足ミドルシュートをGKアベドサデが弾き14番岡野選手の押し込んだゴールシーンはコマ送りで蘇ってきます。
全国高校サッカー選手権や高校野球を見ていても「感動」だらけです。
一生懸命な姿、楽しんでいる姿の内面から湧き出てくるアスリートのこころの叫びが、魂が、そのアスリート達の道程が、人のこころに届き、共鳴させるからだと思います。
芸術とは、修練して身につけた技術。
何回も行って自分のものとした能力。
と記されています。
才能は誰もが持っていると思います。
その才能という優れた資質は、一朝一夕で開花するわけではないのです。
芸術家の方々は作品が完成するまでの間、試行錯誤の連続でしょう。
困難が大半を占めているように思います。
上手くいかないことだらけで、否定されたり、精神的に追い詰められたり、見えない努力の日々を過ごしていると思います。
地道にコツコツと人の見えない所で、創作活動に取り組んでいると思います。
何年も苦労の日々を過ごしているかもしれません。
他人から見たら、大変に映るかもしれません。
無意味に映るかもしれません。
それでも、本人は大変だとも、無意味とも思っていないと思います。
なぜならば、没頭できる事、打ち込める事があるということは、幸せであることに気づいているからです。
そしてそれは、アスリートでも同じことが言えると思います。
静岡学園高校サッカー部元監督、井田勝道さんは「サッカーは芸術だ」とおっしゃられておりました。
私は井田さんから直接お聞きしたことはありませんが、常々、知性という言葉も使われておるようです。
知性とは、様々な経験や知識を駆使して物事を判断し、クリエイト(創造)していくことだと思います。
静学サッカー部のエンブレムにはRhythm、Technic、Intelligenceが刻まれています。
まさに芸術家に必要な知性、技術、リズム(時間)なのです。
「サッカーは芸術だ」のメッセージの中には、 自分達のリズムで、自由にボールを操る、そして相手選手の予測を超越するプレー、観ている人に衝撃と感動を届けることなのではないでしょうか。
メッシ、イニエスタ、ジダン、ストイコビッチ、プラティニ、マラドーナ・・・・そしてヨハン・クライフのプレーを思い出すと「サッカーは芸術」と納得してしまいます。
人々を魅了するプレー、人々のこころを豊かにするプレーは、人々の明日への活力になっていくことでしょう。
高校生の皆さん。
楽しめること、興味があること、没頭できることを見つけてください。
日々様々な事に挑戦し、試行錯誤を繰り返し、自身を磨き続けてください。
自分の感性を大切にしてください。
あなたの笑顔が、人のこころを豊かにします。 あなたの優しさが、人のこころを育てます。
あなたの頑張りが、周りの人に勇気を与えます。
人生とはそんな、心と心の響き合った、人と人との出会いがあるから楽しいのだと思います。
真っ白なキャンバスに、様々な色を使って自由に描いて行きましょう。
失敗しても、 はみ出しても、 何度でも、 塗り足していけばよいのです。
未完の大作「人生」に全身全霊で取り組んでください。
人生は芸術です。

芸術家とは、自分のやっていることに誇りと喜びを覚える人。
だから、すべての職業に芸術家は存在する。(オーギュスト・ロダン)
