高校サッカー・センス
サッカーも人生もセンスが問われます。
ボールを「止める」「蹴る」はサッカー選手の基本です。
サッカーを楽しんでいるプレーヤーはそこにセンスが加わります。
センスあるキックとは状況に合ったスピードとコース。
シュートであればゴールを決められるキック。
センスあるトラップとは状況に合った角度と距離。
ファーストタッチで試合の流れを一変させてしまうようなトラップ。
ボールを「止める」「蹴る」が正確で、リフティングが1万回できたとしても、 相手がいる22人のサッカーを楽しむには、別の要素も必要になってきます。
人生も同様です。
学業が優秀な人だけが、様々な価値観が混在する社会の中で人生を楽しむわけではありません。
別の要素も必要になってきます。
別の要素とはセンスだと思います。
サッカーも人生もセンス次第で楽しくなると思います。
センス(sence)とは感覚のことです。 空気感と言えるかもしれません。
目で、耳で、手で、口で、鼻で、全てから学び感じとることです。
五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)を研ぎ澄まして行くことなのです。
知識・経験をいかに客観的に近い将来へ活かせるかがセンスであり、 その積み重ねが人生を楽しくすると思います。
サッカーも同様です。
センスは持って生まれた偶然のものではなく、誰もが経験や学びによって身につけられると思います。
私は選手達によく話します。
どんなにテクニックや戦術に長けていても、出場した試合の勝率が低ければ、素晴らしい選手とは言わない。
テクニックや戦術レベルが低くても、出場した試合になると勝利やエネルギーを与えられる選手。
それこそが、「本当に素晴らしい選手なんだ」と伝えています。
まさにセンスを持っている選手なのです。
人生においてもそう思います。
繰り返しになりますが、センスを磨くには五感を磨くことだと私は思います。
学校の先生は様々な未完成な子ども達を、それぞれに適した楽しい人生に導く役目があると思います。
それこそが先生に求められるセンスです。
五感を磨き、品性を身につけた人格者である方が生徒達から先生と呼ばれるのです。
一昨年書かせていただいた〈高校サッカー・指導者〉でも書いたとおり、「先生」とは名刺の肩書きには書かないからです。
徳を身につけず、教員免許を取得しただけでは、教職員又は教育公務員になっただけです。
少し前まで学生であった若者が、一朝一夕にして先生と呼ばれる事に違和感を感じるのは私だけでしょうか。
サッカー指導者も同様です。
私の教え子にも、教員が数名おりますが、特に若い教員は日々生徒の成長を考え、 本物の先生になれる様に、日々精進して行って欲しいと常々願っています。
「センスは知識・経験をいかに客観的に近い将来へ活かせるか」だと先ほど書きました。
知識は頭で暗記するものではありません。
経験の中には未知への挑戦や失敗、友情や恋愛等も必要でしょう。
ファッションセンスはテレビや雑誌を見るよりも、パリやロンドンやニューヨークに行って磨いている人には敵いません。
サッカーも同様です。
沢山の映像や、本を読むより、ボールを蹴る事です。
強いチームとゲームをすることです。
強豪クラブやトップレベルの選手とボールを蹴っている選手には敵いません。
五感を磨くには意識しないで磨く事が必要です。
肌で感じるのです。
意識すると、学ぼうとすると、どうしても視ることが優先されてしまいがちです。
聞いたり、触ったり、嗅いだり、食べたり、を意識できると変わってきます。
私は八ヶ岳で暮らして28年目になりました。
毎日、同じ景色を見ています。
毎日、八ヶ岳や富士山を眺めます。
そんな神々しい山々を観ながら大きく息を吸い込む日もあります。
自然に手を合わせてしまう日もあります。
小鳥の囀りを聞きながら、草木の匂いや土の匂いを無意識に嗅いでいます。
そんな暮らしの中で、五感を通じて、春夏秋冬を感じています。
芽吹きから春の訪れを感じます。
新緑の匂いから夏の近づきを感じます。
鰯雲から秋の訪れを感じます。
突き刺す空気から冬の訪れを感じます。
センスは、洗練されたスマートである必要はありません。
高校時代に、様々な事に挑戦して五感を磨いてください。
泥臭いセンス、自分なりのセンスを身につけてください。
センスは誰もが身につけられる教養であり、人生を楽しくする創造力であると思います。
五感を通じて、サッカーや人生を感じてください。
Imagination is more important than knowledge. 〈Albert Einstein〉
創造力は知識よりも重要である。〈アルバート・アインシュタイン〉
