高校サッカー・石ころのような個性もある
人生は冒険、仕事も冒険、そして生きるのも冒険。
日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしない人間は、最低なのである。
何かを深く信じれば、誰でも自分の中に大きな力を見つけだし 自分を乗り越えることができる。
発明は恋愛と同じ。苦しいと思えば苦しい。楽しいと思えばこれほど楽しいことはない。
失敗したからといって、くよくよしている暇はない。
技術者は哲学を持て。
やろうと思えば人間はたいていのことができる。
企業で一番怖いのは社長の無知。問題は持っている知恵が古くなること。そうすると、過去がどんなに偉かった経営者でも、会社をつぶすことになる。
通産省に言われたことと全部反対のことをやってきた。だから、ホンダの今日がある。
資本がないから事業が思わしくないとの声をよく聞くが、それは資本がないからではなく、アイデアがないからだ。
人間というものは、面白いものであり、不思議なものであり、必要のない人間というのはいないのである。
人間に必要なのは困ることだ。絶体絶命に追い込まれたときに出る力が本当の力。伸びる時には必ず抵抗がある。必死のときに発揮される力というものは人間の可能性を予想外に拡大するものだ。
本田宗一郎 100の言葉(別冊宝島編集部)、本田宗一郎語録 (小学館文庫)、 本田宗一郎 夢語録(ぴあ)より抜粋
中学を出て修理工として働き独立し、一代で「世界のHONDA」を築かれた本田宗一郎さんの金言集一部。 偉人の言葉には説得力が宿る。 社会人として、指導者として、沢山の気づきと活力を頂けている。 その中でも、指導者として印象に残っている言葉がある。
「ダイヤモンドのような個性もあれば石ころのような個性もある。石ころでもそれを最高の個性に仕上げる事が重要である」
本当に素直に心に入ってきた。
個性は何も輝いている必要がない事に気づかされた。 ダイヤモンドも石ころも同等であることに気づかされた。
石ころのような個性があるということ、そして、それを最高の個性に仕上げる事に気づかして頂けた。 私の指導者としての引き出しの中の「あそび」をどれだけ大きくしていただけたことであろうか。
ダイヤモンドも石ころも個性において上も下もない。
石ころも世の中においてダイヤモンドと同等以上に必要とされている。
空気同様に目立っていないだけである。
ダイヤモンドを沢山集めているだけの「強い」チームは沢山ある。
ダイヤモンドも磨いていかなければ輝きは失う。
個性を仕上げなければ宝の持ち腐れになってしまう。
ダイヤモンドはお金があると集められるが、石ころはお金がなくても集められる。
石ころをダイヤモンドよりも輝かせたい。
そう信じて磨き続けたい。
根気よく丁寧に磨き続ける事で、技術は熟練されていくもの。
ダイヤモンドの原石も、磨いてくれる所へ行かないと、近い将来は石ころよりも輝かなくなる。それはとても残念なこと。
だからこそ、いつダイヤモンドを扱っても、最高に磨き上げられるだけの準備を続けている。
誰にでも個性があるということ、誰にでも良い所があるということ。 サッカーが、今は上手くなくても、サッカーが好きなら、サッカーを一生懸命頑張っているなら、やがて幹が太くなり、いつか実になり、花が咲くであろう。
育成年代の指導者が心がけなくてはいけないこと、 それは、 目立つ子も、目立たない子も、同じだけの魅力があるということ。 一人一人に良いところが必ずあるということ。 それを引き出すこと、磨き続け、輝かさせることができるかどうかだ。
お預かりした選手を、自分の子どもだと想像して欲しい。
自分の子どもがヘタクソであったとしても、応援すると思う。
絶対に見捨てない。
何が何でも、少しでも上手くなって欲しいから、色々考えます。
サッカーを通じて心身ともにすくすくと成長して欲しいと願います。
今に満足せず、更にお子さんの才能を伸ばして、夢を叶える手助けをします。
親は、将来こそ、幸せに輝いて欲しいと願います。
親同様に、指導者が、それぞれの子どもを最高に仕上げる事を本気で考えれば良いのです。
私は、サッカーが大好きな子ども達の縁の下の指導者であり続けたいと思っています。 その子ども達に、心の中でいつも「ガンバレ」とつぶやきながら、現場に立ち続けています。
高校生のみなさん。 良い師、良い友と巡り会えた人。 未だ巡り会えていない人。 どちらであっても、自分を磨く事はあなた次第です。 自分を磨いてください。自分を磨いてくれる人と出会ってください。 どんなに時間がかかっても、必ずや、輝きを放つ時が訪れます。 きっと近い将来、良い師、良い友と巡り会えることでしょう。 石ころのように自然で、太陽の光を浴びながら逞しく成長して欲しいと願います。
